ワイミーです。
私は普段、専門分野の一つとして、人の心を動かす文章「コピーライティング」について研究したりしています。
本記事では、そのコピーライティングのより基礎的な部分に立ち返って「 20歳の自分に受けさせたい文章講義」という本の要約と書評を行ってみたいと思います。
まず、本記事が対象になる人は以下の通り。
・要約を短時間で知りたい人
・本書を読んだ上で、より具体的に理解したい人
つまり本書に興味がある、または読んだことがあるけどいまいち理解できなかった、などの方はご一読いただければと思います。
また本書の内容は、基礎的な内容とはいっても「コピーライティング」的な要素も十分に盛り込まれている本です。
この本は 「文章がうまく書けないことに悩んでいる若者」に向けての内容になっていますが、 若者に限らず、様々な年齢層の方にお勧めできる内容。
わかりやすいテーマとして「話せるけど書けない」という悩み を解消するべく、全部で4章の講義がこの本の中で展開されています。
ではその内容に入っていく前にまず、筆者の 「古賀史健」さんについて少し触れていきますが、
まずは、なぜ経歴を見る必要があるのかを説明したいと思います。
なぜ著者の経歴を見る必要があるのか
まず、本の内容の信憑性や、どういった立場で書かれているか、といったところを推測・理解するために、「著者の経歴」 を知っておくことは非常に重要です。
例えば、シビアな話になりますが、
「 偏差値90の東大卒が教える勉強法」
と
「 偏差値30の高校卒が教える勉強法」
だとその信憑性も変わってくるわけです。
もちろん、「信憑性」が変わるだけで、本当にその内容が役立つかどうかはまた別の話です。
ただ、 筆者の経歴が参考材料になることは間違いありません。
上記の例と同じように、
「 ベストセラー作家が書いた文章術の本」
と
「文章の素人が書いた文章術の本」
ではその信憑性には大きな差があるわけです。
「20歳の自分に受けさせたい文章講義」の筆者「古賀史健」の経歴
ということで、「20歳の自分に受けさせたい文章講義」の筆者のプロフィールに入ってきますが、まず、
古賀史健さんは1973年生まれで、現在49歳の男性です。(当記事の執筆時点において)
この年齢という情報も、世代の知識、流行り、価値観といったものがありますから、著書の内容を理解する上で役立ちます。
その上で、この本の出版は2012年ですので、古賀史健さんが39歳の時に書いた著書という事になりますね。
他には、彼の有名な著書として「嫌われる勇気」があります。
この「嫌われる勇気」はベストセラーになっていますので、あなたもご存知かもしれません。
私もそちらも読んだことがありますが、 こちらはアドラー心理学を基にした自己啓発的な内容です。
本記事で扱うテーマが「文章」ですので、 その観点から振り返ると「嫌われる勇気」の「文章」はとても読みやすく、心に訴えかけるものがあったと記憶しています。
つまり、古賀史健さんの「文章力」は、 私という一個人の感想ですが、卓越したものだという印象です。
したがって、そのベストセラーを書いている著者:古賀史健さんが講義する「文章」についての書籍、「20歳の自分に受けさせたい文章講義」は、その説得力にも期待できるのではないでしょうか。
簡単に言うと、「文章が上手い人が書いた文章術の本なら信頼できるであろう」という事です。
ちなみに、この本に限らず、このようにしてまず著者の信頼性を見極めることをあなたにもおすすめします。
特に本からノウハウや知識を学ぶ場合は、その情報が正しいか否かを判断する上で、簡単にでもいいのでそういった”精査”をするのが良いでしょう。
そして文章の講義と言うことですから、それが、
「どういったポジションの人の講義なのか」
「どういった場面の文章に 当てはまるのか」
ということも知っておかなければいけませんよね。
まず著者の古賀史健さんの 経験としては上で挙げた通り「書籍」のライター経験があります。
そして、彼は「note」「ブログ」「Twitter」といったネットの文章も書いていますから、
よりカジュアルな「ネット上の文章」、そして出版社を通した「書籍」、どちらの執筆経験もあることが分かります。
それを踏まえると、今回の「20歳の自分に受けさせたい文章講義」は、ネットの文章を書きたい人、書籍やレポートなどのやや硬い文章を書きたい人、 どちらにとってもオススメできる内容になっていると考えることができます。
つまり筆者の古賀史健さんには、ネットとリアルの文章療法の経験があるので、 両方の視点を踏まえた文章の講義をしてくれているという事です。
では筆者の経歴から、 内容の信憑性と、どういった人が対象になるのかということがお分かりいただけたはずですので、
これから本の要約に入っていきます。
「20歳の自分に受けさせたい文章講義」の要約と書評
まず、全体の構成(目次)は、「はじめに」を除くと、以下の通りです。
0章、ガイダンス
1章、リズム
2章、構成
3章、読者4章、編集
0章を除いた「4つの要素」が、筆者の古賀史健さんが「文章において重要だ」と考えている要素になります。
とはいっても、これだけではわかりにくいと思うので、それぞれ詳しく解説していきます。
ただし、 ただ単に内容そのまままとめて言っても面白くありません。
よって、 私が
「ここは重要だ」
「ここはタメになった」
「ここは思いもよらない視点だった」
と思った部分について取り上げ、私自身の意見も織り交ぜながら書いていきたいと思います。
まずは「0章、ガイダンス」から。
「20歳の自分に受けさせたい文章講義」0章:「ガイダンス」
この0章で重要だと思ったのは
・書く技術=考える技術
・ただ書くのではなく頭の中のぐるぐるを翻訳する
・文章には音楽と同じような「ルール」がある
・再構築、再発見、再認識
この4つです。
それぞれ詳しく解説してみます。
・書く技術=考える技術
「書く技術=考える技術」とは、簡単に言えば、
「文章を書く中で初めて、あなたは真の意味で考えることになる」
ということを意味しています。
逆に言うと、頭の中であれこれと逡巡しているだけでは、考えていることにはならないんですね。
それを文章としてアウトプットしなければ、考えていることにはならない。
この理由として、「 人の短期記憶には限界がある」ということが言えると思います。
分かりやすく言うと、「人の頭の中では、思考が浮かんでは消え、浮かんでは消えていく」ということ。
つまり「その浮かんでは消えていく思考」を、 文章としてアウトプットしなければ留めておくことは出来ず、可視化されないんですよね。
これが「言語化が重要」だと言われる所以ではないかと思います。
そして言語化が重要だと言われる理由はおそらくもう一つあって、それは、
文章を書く事には、
「思考を論理的・構造的な整合性をもったものとして言葉でまとめる」
という作用が あるからだと考えられます。
つまり簡単に言うとこういうことです。
・書くのではなく頭の中のぐるぐるを翻訳する
これは著者の古賀史健さんも この本の中で述べていることですが、
「思考は頭の中にある状態だと、言葉ではなく、ぼんやりとした”映像・気配・予感”のようなものだ」
という意味合いになります。
私はこの”映像・気配・予感” という言葉が秀逸だと思いましたね。
あなたもおそらく頭の中だけであれこれ考えている時には、そういった”映像・気配・予感” という形で思考が頭の中に存在しているはずです。
そしてそれらの”映像・気配・予感”を、著者の古賀史健さんは
「ぐるぐる」
と表現しているわけです。
つまり文章を書くということに対して、多くの人は
「頭の中にある言葉を、そのまま文字にしていく作業」
だと考えておりそれこそが「言語化」だと考えているわけですが、
著者の古賀史健さんは、
「そうではない。頭の中にある時には、まだ言葉にはなっていない。それはただの”ぐるぐる”の状態であり、 それを文章という形に”翻訳”していく必要がある」
と言っているのです。
これは私も、なんとなく考えてはいたことですが、それを古賀さんはうまく言語化しているなと感じます。
そしてこれを知っておくと、文章を書く上での「姿勢」「考え方」が変わるはずです。
つまり思考というぐるぐるに対する、
「翻訳作業」
が必要だという理解が生まれるわけです。
つまり、雑然とした思考をそのままアウトプットするのではなく、「翻訳作業」をするという意識を加える事で、 実際の文章も整理されるはずだという事。
では次の「重要だと思ったポイント」に移ります。
・文章には音楽と同じような「ルール」がある
これは文章を音楽に例えていた部分を見て、私が「わかりやすい」と思ったポイントです。
「音楽と文章はどちらも『ルール』がある」
これはどういうことかという事を説明する前に、まずは「多くの人が文章をどういった意識で書いているか」という前提を踏まえておく必要があります。
その前提とは、
「多くの人は、書きたいことを、書きたいように、思いついた事をそのまま、書きたい順番で、書いてしまっている」
という前提です。
それだと、読む方にとっては、 分かりにくい文章になるというのはあなたもなんとなく理解できると思います。
ただそれを、感覚的に分かりやすくするための例えが上記の「音楽」だったのです。
音楽では、 リズム、メロディ、コード進行などに 「ルール」があります。
何百年も前から、「音楽理論」 といった形で、学問として体系化されてきた「ルール」があるわけですから、
それは厳密に守られるべきですし、守られるからこそ心地の良い音楽が出来上がります。
もしそういったリズムやメロディー、コード進行などを無視して音楽を作ってしまうと、 聞き手からしたら不快でしかない不協和音になります。
そしてそれは文章においても同じだということです。
それなのに、なぜか文章においては、 厳密に守らなければいけないルールを無視して文章を書いてしまっている人が多いということですね。
したがって、今まで文章のルールを意識してこなかった人は、今一度、
「音楽においてルールを無視して曲を作った時の気持ち悪さ」
をイメージしてみると、文章においても
「 ルールを無視して書いた文章の気持ち悪さ」
が腑に落ちるかもしれません。
よって、上記の「音楽=文章」の例えは、非常に分かりやすいと思いました。
では次の、 「私が重要だと思ったポイント」について。
・再構築、再発見、再認識
この3つは、「書く事(アウトプットすること)」によって 、何が得られるのかということです。
これは上で述べた「 書く技術=考える技術」であることの理由にもなります。
つまり書く事によって、その内容について、
1再構築
2再発見
3再認識
をすることができると著者の古賀史健さんは主張しているわけです。
ただこの三文字の漢字だけだとわかりにくいと思うので、もう少し説明すると、
1再構築→バラバラに散らばった知識を再構築し理解を深める
2再発見→「自分はつまりそういうことを言いたかったのだ」という気づき
3再認識→「自分がどこに注目して情報収集していたのか」が分かる
ということになります。
「1再構築」はもっとわかりやすく言うと、上で述べた「頭の中の思考のぐるぐる」を、整理して、分かりやすいように並べ替えるということですね。
そして再構築して、情報を整理することで、「自分はもともとそういうことを言いたかったのか。」というように、新たな気づきが得られたり、自分の中でその情報についての理解が深まったりすることもあります。
これが「2再発見」ですね。
そして「3再認識」というのは、 「自分自身に対する気づき」です。
この「3再認識」について説明するために、本書の中では「野球選手の インタビュー」の例が出されていますが、
本記事では私が考えた別の例を挙げて説明してみたいと思います。
では、
「映画を見て感想を書く時」
を考えてみましょう。
この時
「 主人公の心の動きに感情移入して、その心情について、感想を書く人」
もいれば
「 ヒロインの心の動きに感情移入し、感想を書く人」
もいると思います。
さらに
「 その映画の世界観について考察しながら感想を書く人」
「 その映画の時代背景について考察しながら感想を書く人」
もいると思いますし、
「 映像表現の美しさについての感想を書く人」
「セリフの言い回し についての感想を書く人」
「 役者の演技 について感想を書く人」
「 脚本やストーリーライン について感想を書く人」
「カット割りやカメラワークについての感想を書く人」
など、人によって、様々な視点があると思います。
そしてあなた自身が感想を書いた時に、 その感想を改めて見直すことで
「 自分がどういった視点で映画を見ていたか」
「 どういった部分に着目して映画を見ていたのか」
「 自分はどんな要素に意識が向きやすいのか」
などの「自分についての事実」を 改めて再認識できるということです。
つまり「感想」に限らずですが、意見を書くとしても、事実を書くとしても、 人は必ず
「 自分の目と脳みそというフィルターを通して世界を見ている」
という事実がありますから、 必ず その人独自の「視点」があるわけです。
「その視点がどこに向いているのか」
もしくは
「どういったフィルターを通して世界を見ているのか」
を再認識できる手段として、「文章を書く事」があるということですね。
これこそが、「書く事=考える事」になる理由の一つです。
そしてこの他にも、
1再構築
2再発見
3再認識
という三つの要素があるということを、 筆者の古賀史健さんは述べています。
以上、「0章、ガイダンス」で私が重要だと思ったポイントについての要約・解説・書評でした。
あとがき
まずは、0章について書いてみましたが、本章に入る前に、結構な長さになってしまいました笑
思ったより長くなってしまったのでひとまずここまでとします。
ということで、これから少しずつ加筆していきたいと思いますので、良ければブックマークなどしておいてください。
ではまた。